INTERVIEW
2020/08/12
ヘアメイクアップアーティスト
川村聡子さん
2人の男の子を育てながら、起業家のプロフィール撮影ヘアメイク、ファッションカタログ撮影、メイク検定講師、メイクレッスン、銀座のヘアメイクサロン勤務など多岐に渡って活躍をするヘアメイクアップアーティストの川村聡子さんのストーリをお届けします。
ヘアメイクアップアーティストを目指すきっかけは、小学生の頃見たテレビだったという。元々は洋服のデザイナーになりたかった聡子さん。立体的な人間の上にアートする、すでに存在するその人を変えていくヘアメイクを知り「私のやりたいのはコレ!」と心に決めた。
美容師の資格取得後、資生堂のヘアメイク学校を出てすぐ、人気ビューティー系雑誌のヘアメイクアーティスト何人かのアシスタントに。
でも、憧れの世界に入り希望に満ちていたのもつかの間。プロのモデルや女優をさらに美しく変えていくヘアメイクの世界は華やかであると同時に、厳しいところだったそう。
技術うんぬん以前に、黒子に徹し敏感に依頼主や先輩アーティストの意図を察知する力、反対に競争の激しさやギスギスした雰囲気に鈍感でいる力、自分をアピールする力…ヘアメイクとは直接関係ないところで疲弊していく。
心が限界を迎えた聡子さんは1年ほどでアシスタントを辞めることにする。
「華やかな世界でヘアメイクアップアーティストとして働きたい」と強く思い描いてきたのに、途中で辞めてしまった…頑張り切れなかった…。
この経験は大きな挫折感、コンプレックスを聡子さんの心に植え付けることに。
アシスタントを辞めた後もビューティー系雑誌の世界がどこか諦めきれず、細々と出版社へ作品集を持参し営業はするものの反応は得られず。
美容師としての仕事や声がかかったヘアメイクの仕事で少しずつ経験を積む日々が続いた。
それから4年ほど経った2011年。新しくできるSHISEIDO THE GINZA(現在はSHISEIDO THE STORE)の中のヘアメイクサロン「Beauty Boost Bar」にオープニングメンバーかつチーフとして来ないかと恩師から大抜擢される。サロンに来るお客様のヘアメイク(なんと延べ2500人!)の他、資生堂の一員としてビューティー系雑誌の取材を受けたりヘアメイクを担当したり、大きなファッションショーへ参加したりと充実した毎日だったそう。
結婚・出産を経てパート勤務となり、物足りなさを感じた聡子さんはフリーの仕事も再開。しかし、子どもが小さく夜遅くなるものや泊まりの仕事は断ることも多く、バリバリと仕事するヘアメイク仲間と比べてはモヤモヤとした気持ちが芽生える。
2人目の子どもが1才を過ぎ、ただヘアメイクとして働くだけでなく何か新しいものをプラスしたいと学んだのがパーソナルカラーだった。ヘアメイクの際にパーソナルカラーの知識が加わったことでお客様への貢献度がアップ。
そして、この学びへの挑戦は聡子さんにとって大きな転機になる。
パーソナルカラーの講座で一緒に学ぶ人や先生はSNSなどを使い個人で仕事をする”起業家”が多かったという。
これまで目に入っていなかった”起業”という選択肢。
聡子さんは起業家の集まる場へ行き情報収集を始める。
そんな時、起業家のいわばネット上の看板であるキービジュアルを手掛け始めた、ブランドプロデューサー・村本彩さんを知る。
彩さんの手掛けたキービジュアルをいくつも見るうち「すごく素敵!一般の人でもこのクオリティを出せるんだ!でもヘアメイクが入っていないはず…もったいない!」とうずうずした聡子さん。
「ぜひヘアメイクに入らせてください」と直談判しキービジュアル制作に参加することになる。
キービジュアルは本当にテンションの上がる仕事。
起業家本人・プロデューサー・デザイナー・カメラマンそしてヘアメイクの聡子さんチームみんなで「ああしたほうがいい、こうしたほうがいい」と作っていく過程がとても楽しい!という。
ヘアメイクをするのは、かつてのビューティー系雑誌のようなモデルや女優ではなくいわば”普通”の人。
当日は、起業家その人の持っている良さを資生堂仕込みのプロの技で引き出すだけではない。
構図や全体の進め方などに集中するプロデューサーやカメラマンとは違う一歩引いた目線で、撮影になれていない起業家が困っていることや不安に思うことはないか、心に寄り添い、より満足度が上がるよう支える役目も果たす。
そして出来上がった看板を引っ提げ飛躍する起業家をたくさん間近で見てきた聡子さんは、普段から自分でクオリティの高いヘアメイクを再現しより活躍してほしいとレッスンにも力を入れている。
起業初期は、ついつい外見は後回しでサービスの中身で勝負!と意気込む人が多い。
けれどもたくさんのサービスの中から選ばれるためには、外見も中身と同様重要だ。
せっかく素晴らしいサービスを作り、素晴らしい写真を撮ってもらっても、ほんの些細な髪や服の乱れが写り込むと、途端に素人っぽさが出る。
「それは本当にもったいない、私がついていたら」と悔しい思いを何度もしている聡子さん。
7月半ばからはこれまでの経験を総動員した、新しいサービスをスタート。
キービジュアル:
Brand Produce 村本彩
Design 大庭良之
Photo 西山絵里
そうお客様から思ってもらえる人に。
元々持っている美しさを最大限に生かし、ビジネスを飛躍させたい起業家へ。
聡子さんの新しい挑戦が始まった。
(LP Design 安間祥子 / LP Write 菊地郁子)
取材・文/そがさちえ
1982年茨城水戸生まれ。二児の母で、人生Storyライター、自分で体と心を癒す〈和みのヨーガ〉インストラクター。 早くに父を亡くしたことや、激務で体調を崩しキャリアを諦めた経験から、心身を整えやりたいことに挑戦できる人・一度きりの人生を思いっきり味わえる人を増やしたいと活動スタート。
BOOK人生に影響を与えた本
1978年生まれ、福岡県出身。中学高校時代を金沢で過ごす。
2001年資生堂美容学校卒業後、資生堂ビューティークリエーション研究所入社、美容室1店舗を経て、2006年SABFA(資生堂が運営するヘアメイクスクールSHISEIDO ACADEMY OF BEAUTY & FASHION)で1年ヘアメイクを学び、卒業後、ヘアメイクアシスタントとして現場経験を積み、フリーで活動。NY、東京コレクションなどの世界的なファッションショーのヘアメイクのほか、ファッションカタログ、文化服装学院ヘアメイク講師など幅広く活動。
2011年SHISEIDO THE GINZA内、ヘアメイクサロン「Beauty Boost Bar」にオープニングメンバー、チーフとして入社。サロンワークのほか、雑誌「MAQUIA」「美的」「VERY」などの女性誌でのヘアメイク、ファッションショー「JAPAN NEXTファッションショーIn上海」「ESCADAコレクション」などにも参加。 出産、育休を経て、2015年からはSHISEIDO THE STOREに所属と同時にフリーで活動。
2019年6月から始めた起業家向け撮影ヘアメイクやレッスンは口コミの連鎖で1年でのべ100件を超える。